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ウリグリース千賀子のPure Heart 《ピュア・ハート》

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# by uriguri-s | 2007-12-16 19:35

過去を書き変える

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今という一瞬一瞬に選択したこと、その現実の積み重ねが、自分の未来を創造するという原理は今までもよく書いてきました。
しかし私達は人生を送る上で、過去関わり合った環境や人からの植え込みにより生じた、様々な固定観念というスクリーンを通して物事を認識し、判断していることにあまり気づいていません。過去の集積が今の自分を創っているのであれば、私達はスクリーンを通して見た世界に、現実の創造を委ねてしまっている、と言っても過言でない状況を創り出していることになります。
刷り込みとしてパターン化している感情の動きが、現実の積み重ねにおける行動という行為に与える影響は大きく、感情の動きが変わればその行動が変化し、最終的に創り上げられる現実も、かなり違ったものになっていくのではないか?と思うのです。

否定的な感情のパターンにより、幾度となく否定的要素の強い現実を創造してしまっている場合、その現実により、さらに否定的な未来を創造することにつながっていくことも考えられますね。
そういった場合、過去の否定パターンを、肯定的なものに自身で書き変えることによって、その影響により、引き寄せられる現実が変わってくることになるのです。
『そ、そ、そんな…! 思い込みの想像で、過去を書き変えるなんてホントにできるの!? 』
不思議ですね…確かに… でも潜在意識は、現実にあったことと、想像上で思い描いたものとの識別ができないのです。強くイマジネーションしたことは、すべて本当のことだと認識するんですね。この、とても素直な潜在意識の力を有効的に使うことは、大いなる自信にもつながってくると思うのです。
スポーツ選手の、イメージトレーニングはこの作用を利用したものです。
メダリストたちは、過去の失敗イメージを書き変え肯定的なイメージに置き換えます。そしてさらに、成功した自分の姿を強くイメージしていくんですね。

過去や未来という世界は、一体何処に形として存在するのでしょうか? 時間という世界に閉じ込められている私達には、肉体を持って過去に戻ったり、未来に行ったりすることはできません。その過去や未来というイマジネーションの世界は、今という自分の意識の中にだけ存在するものなのではないでしょうか? だからこそ、今、一瞬がすべてにつながるポータル(入り口)なんですね。
そう…! 私達の今という一瞬は、インターネットのポータルサイトのような存在であり、無限大に広がる黄金色のラビリンス(迷宮)への入り口なのかもしれません。
観念、刷り込み、思い込みとは、本来自由な意識に何重もの手かせ足かせをはめ、この一瞬につながる大いなる入り口を厚く覆う、蜘蛛の巣のような存在だと思えるのです。
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# by uriguri-s | 2006-10-03 00:06 | 思いと現実化

Contact

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このような経験は、誰にでもあると思うのです…
何かしら特別な意味はないのに、急にある場所に赴きたくなったり、また思い出したようにある本が読みたくなったり、どうしても参加してみたくなった催しやイベント…
これも、実は本能からの貴重なサインであることが多いと思います。その中に、今現在の自身に必要な…そう、意識進化の旅に有益なヒントとなる、ピリ辛スパイスが隠されているように思うのです。
それを体験したあと、何もインパクトを感じなかったとしても、表面意識では認識できない潜在意識の深い部分で、必ず何かが共鳴し合っているように感じるんですね。五感を通して入力された情報が、必要なところに必要な形で届いていると思うのです。

最近、私の周りにはこの現象が多発していて、時間が足りませ~ん…
時間に振り回されずに主体性を持って動きたいと思うので、できるだけ的を絞ろうとするのですが、絞りきっても同時進行で進めなくてはどうしても消化できないのです。コレも、良い意味での教育的指導かなぁ?と、あまり複雑に考えずに、心赴くままに素直に反応しているウリグリースなのですが…

とにかく、読みたい本が山積…! 以前は絶対にやらなかった方法ですが、今は2冊を同時進行で読むスタイルです。1冊をじっくりと読むのが好きなので、同時進行なんて考えられなかったです。(著作者の方、非礼をお許しください…) もちろん読むときは真剣ですが、とても楽しいですよ。きちんと、それぞれの内容が、心のページに印字されていく感覚がいいですね…!
読書以外にも、調べ物もしたいし、ビデオも見たいし、行きたい所には足を運びたいし…しかしこれは、嬉しい悲鳴なのかもしれません。

日曜日は久しぶりにゆっくりとしていましたが、午後になって急にこのビデオが見たくなりました。劇場公開の時もとても感動して、DVD化されてすぐに購入し、お気に入りとしてよく見るビデオです。
カール・セーガン原作の映画『CONTACT』(コンタクト)。
ご覧になった方もきっと多いと思いますが、地球外生命体とのコンタクトが描かれた作品なんですね。( 異星人と思われる存在は、主人公の亡くなった父親の姿で現われます )
しかしこの作品は、単に地球外生命体との接触を表現するだけのものではなく、人類史の裏側に隠された真実、大宇宙の叙事詩、地球生命体として人生を歩んでいる意義、人類愛・宇宙愛の素晴らしさ、宇宙意識を持つことの重要性…といった、現代の私達が、今の時代に学びとして身につける必要性を、自らの心に問いかけることを目的として作られたんじゃないか…?と思わせるような、とても奥深い、威厳に満ちたバイブレーションを放つ質の高い作品です。
カール・セーガンに、インスピレーションを与えた存在との『コンタクト』なのかもしれませんね…

主人公の"エリー"(ジョディ・フォスター)が、多次元意識で体験する"琴座のベガ"のシーンは最高です!心がとっても熱くなるんですね。魂が喜んでいる感じ…! 涙がポロポロ流れてくるんですね。
このシーンで、何故か本当に心が洗われたような感覚に陥るから不思議です。
"ベガ"は、本当に私達の魂の『ふるさと』なんじゃないか…!? って思えるような、素敵な映像です。
そして、その世界は決して遠い所にあるのではなく、多次元で私達の次元と重なり合っている…ということ、真実を知りたい!そしてつながりたい!と強く思う心こそが、推進力となり、意識進化の旅においてその威力を発揮することになるという事実を、この映画は教えてくれます。
"S・R・ハデン"みたいな人も、実際に存在するのかもしれませんね…

私が強く打たれたのは、実証主義者であるエリーが、科学者としての強い信念を持ちながらも、科学では決して実証できないものの中に宿る真実に直面した際、それを否定することなく、実証主義である自身との葛藤を乗り越え、真実を畏敬の念を持って認め受け入れるところです。
科学が究極を極めれば、それは『神』と呼ばれる存在に行き着く…ということを、この作品のシナリオは私に伝えてくれました。
人類は、わけのわからん神様を、たくさん創造しすぎているような気がしますね。

真理とは、形や証拠で残せないものの中に隠れているもの… 逆に、形や証拠で残るものの中から、それを見い出すことは難しいのかもしれません。何故なら、真理とは心で感じるものだからです。
私達の心の中に、宇宙は存在している…この映画の冒頭シーンは、それを強く印象づけています。この冒頭シーンも実に素晴らしい!

『もし全宇宙に、地球しか人間がいなかったら、宇宙がもったいない』 大好きなセリフです。

本能からのサインに、敏感に、そして素直になることの大切さを、また再認識させてもらったように思います。 感謝…!
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# by uriguri-s | 2006-10-02 00:04 | 心の栄養

成長の機会

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日々人生を歩んでいく中で、私達は様々な自己成長の機会を天から与えられています。
しかし普段それは、意識することなく心の中を通り抜けていくことが多いと思います。
自分の前に現われる多種多様な現実は、過去の自分自身が創り出した結果でもあるわけですが、何気ない日常の動作であったとしても、それを意識的に客観視できれば、新たな発見や気づきにつながり、結果的に自己意識の拡大をもたらすのです。

私は看護師ですので、医学的な立場からたとえ話をしてみます。
普段私達は、排泄という行為はごく当然の自然現象だということで、その作用を気に留める機会はあまりありません。しかし、外出先でトイレが見つからず脂汗をかくことになったとします。やっと見つかったトイレで用を足す時の爽快感は、言葉にできないものがあると思うのです。私にも経験があります。きっと誰にでもあると思うのですが、この時に普通は、本能を満たせただけの満足感しか感じません。しかし、一歩踏み込んで感性の扉を開くならば、勢いよく排尿できる有り難さと、普段は不潔だ、汚いだとか敬遠されがちの公衆トイレでさえ、有り難いものだ…!と感じることができるのではないでしょうか?
すると、トイレを大切にしようという気持ちや、勢いよく排尿できる健康な腎機能に、感謝の気持ちが湧き起こってくるのです。
トイレに入ったら、『トイレさんありがとう…!』とお辞儀して…
勢いよくおしっこが出たら、『腎臓さん、膀胱さんありがとう…!』
これ、心の中で言うだけでも強力なマントラですよ(笑) きっと、素敵な未来を築き上げる礎(いしずえ)の一部になってくれると思うのです。

アクシデントを通じて今まで感じ得なかったものを感受できた時、それは、そのアクシデントに秘められたサインを、自身が学びに転換できた時だと思います。アクシデントを否定的に捉えると、このような観点に結びつく機会は決して芽吹くことはできないと思うのです。
『転んでも、ただでは起きない』の精神ですね!
アクシデントに限らずあらゆることを、たとえそれが日常的なことであったとしても、成長のチャンスと変えていくことは、霊的成長においてとても意味のあることではないか?って思うんですね。

このように、意識して一つひとつの事象に関心を持ち、現実という一瞬一瞬を肯定的に積み上げるということは、自分の思考を一つ高いレベルの次元から観察し、そしてそれをさらに肯定的で、より自分を高めるものに変化させることにつながっていくと思うのです。
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# by uriguri-s | 2006-10-01 00:02 | 意識進化の旅

言霊宿る言の葉

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私達に与えられた、『言葉』という名のコミュニケートツールには、言霊(ことだま)が宿っています。
そしてそれは、現実を創造する強力なマントラでもあります。

以前の記事で書いたことがありますが、言葉とは『諸刃の剣』でもあるんですね。自らの口から発せられた言葉は、その言葉の内容に応じたバイブレーションを放ちながら、聞く人の感情を通して心に深く沁み込んでいくこととなります。
悪意に満ちた、低いバイブレーションを放つ言葉の場合、剣が無くても相手の心を鋭く貫いてしまうことができるのです。相手が、意識の向上を目的に励んでいる人であるならば、その人はそのような低い波動の言葉を受けたとしても、それを受け流し、相手を丸ごと受け止め許すことができるのでしょうが、普通はなかなかそうはいきません。心はひどく傷つき、その傷が元で、心の病に陥ってしまう可能性だってあるわけです。

逆に、美しくパワーに溢れた言葉は、聞く者の心を活性化するスーパーアイテムへと変身します。これは相手に対してだけでなく、自分自身に対して放つ言葉も含みます。
自らを奮起させる最高の方法は、この言霊の力を余すことなく利用する…!ということではないか?って思うんですね。
これは、実に簡単な方法です。これほど単純明快な方法はないのに、私達はなかなか素直になれなくて、貴重な財産を有効に使うことができていないように感じます。それは、言葉にそのような偉大なパワーが宿っているということを、非現実的なことだと否定するエゴや、照れなどが邪魔をするのでしょうが、否定からは否定の現実しか創造できません。
『私にはできない』と心に強く言い放てば、出来ない現実が創造されるのが自然の法則…
話した言葉は、現実を創造するとても強い力があるのです。これが言霊のパワーです。

『私にはパワーがある!』
自分に対して放つ言葉ならば、このような言葉がおすすめです…!(笑)
え…っ? ウリグリースもやってるの…って? 
ははは…やりますよ、鏡見ながら…自分の目を見てね…!
随分前にエハンさんのセミナーで勧められてから、素直に取り入れています。
私は女性ですから、毎日お化粧をするわけです。鏡に向かう時間を有効に使えていいですねー

話す前に、自分が話す内容が、相手の人生にどのように影響するか…?ということをよく吟味することは、とても大切なことだと思うんですね。結局は、相手に対して、バイブレーションの低い言葉を放つということは、自分自身の心も蹂躙していることになります。

心を磨くには、まず… パワーに満ち溢れた綺麗な言葉を使うことではないでしょうか?
これは本当に難しいことではなく、すぐに実践できる素敵な方法です!
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# by uriguri-s | 2006-09-30 00:02 | 言霊(ことだま)

役割という使命

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私という生命体は、どうして、今この時代のこの環境に生まれ出てきたのですか…?
個々それぞれが人生テーマを掲げ、その目標達成のために生まれ出てきているのもわかります。
その人生の旅で出会う多種多様な環境で、複雑な人生模様を織り成すのも大切な要素であることも理解できます。
また縁あって出会う人達と、持ち合わせる課題をすり合わせ、お互いの課題成就のために、切磋琢磨するのも大切なことだと十分承知しています。

では、その根本にある根源的なテーマとは、人類の共通のテーマとは一体何なのでしょうか?
それぞれの課題成就に至る道筋で、内なる自分が働きかける、テーマに直結する大切な要素とは一体何なのでしょう…?

私は、それぞれが自分に与えられた、『役割』を果たすことだと思うのです。今、自分の置かれている環境で、自分の役割を果たすこと… 
この役割とは、つまり『助け合うこと』だと思うんですね。
私達はこの現象界に出てきて、お互い助け合うことを学んでいるのではないでしょうか?

真の意味で助けるとは、一時的に窮地から救ってあげることではないと思うのです。
例えば、お腹を空かせて困っている人がいたとして、その人に対してその時に一番必要な援助は、まずは空腹を満たしてあげることだと思います。しかし、これはその人を一時的に助けたに過ぎません。その人が、自分で空腹を満たせる力のある人であるならば、本当の意味でその人を助けてあげるということは、その人が自力で空腹を満たすことができるようにアシストし、自立を促してあげるということだと思うんですね。
これをはき違えると、助けているつもりが依存を生み、却ってその人の自立を阻んでいくことにつながるかもしれません。

これは私達の日常の生活の中で、様々な形態を取り現象化してくることになるのですが、他者に責任を感じすぎてしまい、自沈してしまうケースをよく見受けるんですね。心療内科系のカウンセリングなどで、よく見られるケースです。人を援助するのは素晴らしいことです…が、しかし、自分のものでない荷物まで、背負う必要はないと思うのです。他人の課題はその人が解決すべき問題だからです。

人に力を与えることとは、その人が人生に肯定的な変化を起こすことを助けてあげる…ということではないでしょうか?それがまた、自分自身にも力を与えている…ということにもつながるのではないか…?と感じるんですね。

助け、助けられ… 助け合うという精神の中に、私達が長い時を経て模索してきた、珠玉のテーマが隠れているのかもしれません
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# by uriguri-s | 2006-09-29 00:09 | 意識進化の旅

現状はヒントの宝庫

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私達の人生の旅の中で、今という現実、状況は、人生シナリオの起承転結のうち、一体どの部分にあたるのでしょうか…?
どの部分であったとしても、私達は意識進化の旅の、霊的進化の旅の真っ只中にいると思うのです。

今、自分の周りの環境を見渡すと、自身を取り巻く多くの人間関係、その人たちと織り成す感情の錦、自分の前に現われる様々な事象といった、複雑な運命の相関図が、それぞれのタイムテーブルの上に浮上してきています。
普段、霊的に意識して物事の成り行きを見られない私達は、この三次元物質世界で世渡りするのに、自身が持ち合わせる最低限の能力しか発揮できていません。

今、自身の周りを取り巻く環境と、その環境が生み出す相関関係こそが、今の自分に必要とされている課題そのものであるのです。どのような些細なことであったとしても、何一つ無駄は存在しません。人間には感情がありますが、この感情は、私達の行動の発端的要素であり、感情の動きが行動を支配していくわけですね。
感情の中には様々な種類、形態がありますが、この感情の働きに、今自分が取り組むべき課題へのヒントが隠れているのです。
例えば特定の感情のパターンなどは、その人の霊的進化の上で、レベルアップのためには、克服が不可欠であるといったようなケースであることが多いと感じます。

例えば、他者に対しての信頼を、学びとして課題付けられている人がいたとします。
この人は、ストレートに素直に人の意見に耳を傾けられません。言葉の裏に何かありそうで、不愉快な感情がふつふつと生まれ、どうすることもできないのです。
すると、この人はこの課題の意味に自分が気づくまで、色んなシチュエーションでその課題を学ばなくてはならなくなります。つまり、信頼について学ぶ必要のある人は、まず他人に対する不信を体験することになるのです。
「私は、どうして不愉快な気持ちになるのか?」という疑問と、真正面から向き合う必要性に気づかないかぎり、その堂々巡りから抜け出すことができないんですね。
真剣に向き合うことができたなら、
「私は、どうしてこんなにイヤな気分になるのだろう…?」
「それは相手の言葉を信用できないからだ…」
「じゃあ、どうして信用できないのだ?」
と、一つひとつ紐解いていくことにつながります。

このような自問は、直感への導きを求める語りかけとなり、堂々巡りから抜け出すヒントに直結しているように感じるのです。
しかし堂々巡りから抜け出すにも、自分自身がその感情パターンに違和感を感じ、自分の中で改革したい!という欲求が沸き起こってこなくては、意図することにつながりません。
「霊的向上、意識向上を目指したい!」と心から願う人であるならば、それは心の中で強く意図したことになりますから、向上を意識して進む上で、直感を通し様々なヒントが得られ、やがてそれは形となっていくでしょう。『求めよ、さらば与えられん』ですね。

今、自分自身に起こり得ているすべての事象に、大きな意味があります。
それを、意識向上のために散りばめられた宝石と捉え、磨きをかける道を選ぶか、ただ不満をぶちまけ、ネガティブなバイブレーションを撒き散らすだけの道を選ぶか…
この時代…両者の選択は、自分の霊的・意識進化の旅の、まさしく分岐点となると云っても過言ではないと思うのです。
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# by uriguri-s | 2006-09-28 00:14 | 意識進化の旅

老いるということ

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今日は、私のお気に入りの日本映画を紹介したいと思います。
私の中のヒーロー、名脚本家でもあり映画監督でもある、日本映画界の巨匠、新藤兼人監督の1999年の作品、『生きたい』という映画です。

新藤兼人監督は、私の卒業した、シナリオ講座の学長をされていたんですね。私はこの講座で、映画の脚本のいろはを学びました。
伝えたい心を、映像として表現するために書き上げるものが、シナリオと言われるものであり、どんな映画やドラマでも、このシナリオがないと作品は形とすることができません。小説と違うのは、シナリオは映像を組み立てる指示書でもある…ということなんですね。つまり、脚本家の心のスクリーンには、すでに2時間サイズの映画が出来上がっていて、そのイメージを文章で表現したものが、シナリオというわけです。

アマチュア作家の私の作品など、どれも日の目を見ることもなく、それはシナリオライターではなく、夜中にせっせと執筆活動に励む、シナリオナイターでしかなかったんですけれど…(笑)
しかし新藤監督は、「とにかく作家はどんな形でもよいから、作品を書き続けることです」と、よく話されていました。
…そのおかげで、今こうしてブログを書かせていただいているのですから、シナリオ講座で学ばせていただいたことにとても感謝しています。

日本映画界には、優れた映画監督の方が沢山いらっしゃいますが、人間の心の光と闇、その中に宿る心性や、どの人の心にも必ず存在する神性…そういったものを余すことなく事細かに表現することに関しては、この新藤監督の右に出る人はいないと思います。監督の映画は、どの作品も見終わったときに、心に沁み込むような余韻を生み、説得力ある感性が、残像として鮮やかにその心に蘇るのです。

誰にでもやってくる老いという現実、避けては通れぬこの自然の摂理… しかし現代社会は、『老い』の環境に対して決して暖かくはなく、そこには、老いる本人は元より、その子供、そしてその家族をも巻き込んだ、複雑な事情が見え隠れしてくるのです。
そのような、個々の複雑な心をえぐり出し、長野県の伝説『姥捨て山』をオーバーラップさせて、新藤監督の独特の切り口と手法で映像化された作品が、この『生きたい』という映画です。

『今の日本で「老い」と共に生きていく、その痛みと喜び。ユーモアに交えて根源的テーマに迫る、現代の「姥捨て伝説」』 モスクワ国際映画祭 グランプリ受賞作。 

私は昨年一年間、今の職場から一時的に籍を外して、以前取ったライセンス『ケアマネジャー』の仕事に就きました。介護保険を利用し、介護の必要性のある高齢者の方たちにケアプランを作成し、ご本人とご家族と、介護施設やサービス事業者との橋渡しをする仕事です。看護師とはまったく違う分野での仕事を通して、私が体験したかったのは、高齢者の置かれている現状把握というよりは、まずはその世界に身を置いて、自分の感性や感情がどう反応するか?ということでした。
今の日本の縮図ともいえる環境が、そこにはありました… 非常に勉強になりました。ネガティブな感情が渦巻く場面にも遭遇しましたが、得るものは大きかったです。やはり、そこに入って体験しないと見えてこないものってありますね。

何世代時代を超えようとも、私達には忘れてはならないものがあると感じました。『真心』( まごころ )という心性…
よろしかったら、是非、新藤兼人監督の『生きたい』を見てみてください。まごころの大切さ、慈愛という精神の尊さがひしひしと伝わってくる作品です。暖かい涙を誘います。

( 冒頭ジャケットの、三国連太郎さんと大竹しのぶさんのラストシーンは泣けました…! 認知症となった父親を、預けた老人ホームから奪還するシーンです )
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# by uriguri-s | 2006-09-27 00:06 | 日本の心

転機となった一冊

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人生行路を歩む上で私達は、その道中において幾度となく『転機』を迎えることになります。
それは、ちょっとしたきっかけであったり、また人生観を揺るがすような大きなものであったり…形態は様々ですが、どのようなものであったとしてもそれは、自分の人生テーマ再確認のためにあらかじめ設けられた、『時』のアクセスポイントのようなものだと思うのです。

二日前の記事『体調と心』で、私は10年ほど前に大きく体調を崩したことに触れました…
ちょうど今から11年前に、私は『阪神淡路大震災』で被災しました。当時西宮市に在住しており、北部地域だったため大きな被害は免れましたが、しかし、その影響で心身のバランスを崩してしまうことになるのです。
心の世界や精神世界を探求してきたことは、上っ面だけの卓上の理論でしかなかったということを、痛感させられることとなりました。私は一体何を学んできたというの…!? こういう時にこそ、その学びが役立つはずだったんじゃないの…!? と、自問自答を繰り返し、心の中で堂々巡りをする自分が、妙に小さく感じたのを覚えています。

本来の自分から、段々と遠ざかっている自分に、身体は体調を通してサインを送ってきます。しかし、胃腸症状から始まったサインを無視し続けて、さらに真実の自己から距離をおくこととなった私に、とうとう雷(いかづち)が落ちます。
免疫力を極端に落としたために、『ハント症候群』という、内耳器官に帯状ヘルペス(疱疹)が発生する、恐ろしいウイルス性の疾患に罹患してしまったのです。あの帯状ヘルペスが耳の奥の内耳という、とてもデリケートな場所に巣くってしまう病気です。発症率、5万人に一人というとても珍しい病気なんですね。三半規管という身体のバランスを司(つかさど)る器官や、聴神経や、顔面神経が細いトンネルの中を交錯するような複雑な器官が、ヘルペスで犯されるのです。症状は、悶絶状態です。平衡感覚が全くなくなり、犯された右耳は完全に聴こえなくなりました。強度の眩暈(めまい)と頭痛に、吐き気、嘔吐…頭蓋内の恐ろしいほどの圧迫感。もし体力がなかったら、私はここで命を落としていたかもしれません。
救いは、発見が早かったため、抗ウイルス剤の早期投与により、顔面神経麻痺を免れたことでした。もう少し遅かったら、ほぼ完璧に顔面が麻痺し歪んでしまうところでした。

真実の自己から、かけ離れた場所に魂を飛ばしてしまい、心は孤立状態です。
しかし、どうしても納得がいかない自分が、心の中で叫び続けるんですね…『こんなのおかしいよ~!今まで人生一所懸命生きてきたのに、こんなの絶対におかしい! 神様! おかしいです!! 私、頑張ってきましたよ! なのに、どうしてこんな目にあわなきゃならないの!』って。

神様から返事は聞こえませんでしたが、この本に出会う事になりました。
病気が回復する途上で、見つけた本です。96年に出版された、翻訳版のグラハム・ハンコックさんの『神々の指紋』でした…
心理学の本でも、心の本でも、精神世界一辺倒の本でもありません。一人の人間が情熱をもって、謎の解明に挑み、その研究の内容や、謎を紐解くために費やした熱き日々の集積をつづった著書でした。あまりのスケールの大きさに、目からウロコが落ちました。スゴイ…!世の中にはこんなに情熱を持って、人生を、自分の信念と夢にかけている人がいるのか…!と、本当の自分を見失っていた私は、大きなインパクトを受けることとなったのです。

著書とは、著者の『心』そのままですね。 やはり活字は、心対心の交流だと痛感します…

つい最近のエハンさんのブログの記事に、4月に、ハンコックさんのお宅を訪ねられた時のお写真が掲載されていました。何だか…とても不思議な感じがしました。そしてハンコックさんは、このTHDの同じブログサイトで、ご自身のブログを今度公開されることになります。
こんな事、あの10年前のあの時に、想像すらできなかった…

タイミングは、作ろうと思って作れるものではなく…だからこそ、やっぱり一瞬、一瞬は宝物であり、私たちはその宝物を選択する自由という、素晴らしき意志を神から貰い受けた、限りなく美しい生命体であると思うのです。
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( 『神々の指紋』以外のハンコックさんのご本も、これから是非読みたいと思っています。 )
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# by uriguri-s | 2006-09-26 00:14 | 心の栄養

明日の風


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若かりし新米ナースの頃、やっと一通り仕事をこなせるようになり、夜勤につくたびに思ったことがあります。『どうぞ、無事に勤め上げることができますように…』と。
20代の頃を思い出すと、よくあんな激務に耐えていたなぁ~と、自分のことながら感心してしまう時があります。今、同じ内容の勤務形態を求められても、できないと思うからです。若さというエネルギーは本当に素晴らしいものです。

しかし、あの頃…
夜勤の前になると精神的に緊張するくせがついて、その時の瞬間を楽しめないというジレンマによく陥りました。たとえば、休日で楽しいはずの時間なのに、数時間後に控えている夜勤入りのことを考えると、その瞬間に気分が一転してしまうのです。
しかし実際に勤め上げた後の爽快感と充実感は、言葉に尽くせぬ満足感を生み、それは使命達成感と姿を変え、ナースとしての精神力を養う上で大切な要素となっていったことも事実です。

ある時期に痛感することになります… 自分の中で、時間に対してきっぱりとけじめのある采配を取らないと、時間に振り回されることになるということに…
今、携わっていることに意識を集中させるには、今という時間に集中するということであり、後にやってくる時間のことを前倒しで今に持ち込まない…、ということなんですね。
つまり未来のことは未来の自分が考え対処することであって、取り越し苦労したところで、何の益も生まれないっていうことに気づいたのです。

どうしてか人間は、ポジティブに未来に夢を持つことより、ネガティブな不安を未来に投影することの方が多いような気がします。それは社会にそれだけ、私達を不安にさせる材料が多いからなのだと思うのですが、しかし発想を転換すれば、それも一つのチャンスであると感じるのです。新しい発想は、決まりきった枠組みの外にどうしたら出られるか?という、素朴な疑問を感じるところから始まるからです。それを思考することによって、新たな思考回路を開拓することにつながり、想像する力が創造力を鍛えることにつながっていきます。

私達が生まれてきたこの現代の地球世界が、調和の取れた平和な星であったならば、このようなことは考えることはなかったでしょう。しかし私達は今、その調和と平和という、統合への大きな目標に向かって歩むことを目的に、此処に生まれてきています。

自分の中に、疑問がたくさん生まれることは、とても素晴らしいことだと思うのです。
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# by uriguri-s | 2006-09-25 00:05 | 思いと現実化

体調と心

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身体の免疫システムは、心の状態と密接な関係にあると思います。
私達は病気になった時に、その病状改善のために様々な対症療法を受けますが、どうして病気になったのか…?という疑問を持つまでには、なかなか至りません。
投薬治療などで病状が一時的に改善したとしても、時をおいて、再び同じような症状で病院を訪れるケースはとても多いのです。
その病気を引き起こした原因が、ストレスと名を変えた鬱積したマイナスエネルギーによるものなのか、自分の身体へのいたわりを欠いたことによるものなのか、また、他に原因があることなのか…?とじっくり考えてみることは、実はとても重要なことだと思うのです。

病気になるということも、人生を歩む上では必ず意味を成すことがあり、とても貴重な体験の一つであると私は思います。やはりここでも、その状況をどう捉えるのか…?ということがテーマになってくると思うんですね。
病気になるということを多角的に見れば、それは様々な形での、積極的サインと受け止めることもできると思うからです。
今まで多くの患者さんたちと接し、色んなケースに立ち会ってきて思うのは、個々のドラマの中に病気というシチュエーションが組み込まれており、そのシチュエーションの中に、ご本人や家族、また隣人の方たちの、人生テーマ成就のために必要となる大いなるヒントが隠されている… それに気づけるようサインを送るという形で、病気は様々な病態・病状という形を取り顕現化てくるのではないか…?ということなんですね。

それは、最終的に一つの結果にたどり着いた時に、個人個人の心の中に鮮やかな光彩を放つ、宝物を生み出すこととなります。
全快して病院を去られる場合であっても、例え亡くなられた場合であっても、その方を含め、その縁者の方たちに、それを乗り越えなければ掴み取ることができなかった、体験を通じての心の財産という宝を生み出すのです。

また、自分の心のあり方や、人生の舵取りに問題がある時なども、身体は体調を通してサインを送ってくることがあると思います。
最近ある西洋占星術で、詳細なチャートを出してもらって驚きました。
このような指摘があったからです。

『あなたが今生で学ぶべき事柄と、あなたの消化器官には深いつながりがあります。したがって、あなたが、運命づけられている学びがうまくいっていない時、体は消化器官の不調を起こし、あなたに揺さぶりをかけるでしょう。不調は消化器系全体に及びます。
あなたが、取り入れるべき思考の形態を意識に統合するのを怠ると、胃炎の症状を伴うことがあるでしょう。腹部の膨満は、あなたがある状況の調整と統合に着手するために、情報を分析し直す必要がある時、身体が送る合図です。
あなたの精神が、あるべき軌道を外れた時に起こるサインを無視し続けていると、消化器系だけでなく、リンパ系にも異常をきたします。ここまでくると、身体の免疫力が弱まり、感染症に負けて免疫システムの崩壊を招きます。』

今このチャートを出したのも、偶然ではありません。
10年ほど前、自分の中の過渡期の真っ只中にいたころ、私はこの症状に見舞われたからです。きっと何かのサインだろうな…とは感じてはいましたが、対処を怠りました。最初現われた胃腸症状を無視し続け、本当の自分からかけ離れた所に身を置いてしまった私は、その後、大きく体調を崩すこととなりました。5万人に一人という発症率でしか罹患しない、ウイルス性の疾患に罹ってしまったのです。免疫力の低下が招いた結果です。
今、このように詳細な指摘を目にし、ああ、その通りであった…と感じるんですね。今後の参考にもなります。とてもよい指標を見つけ出すことができたと思います。
今までの人生を振り返ってみて、あの時の体験は本当に大きかったと思うんですね。真実の自分を思い出すためには、必要な試練であったと痛感します。あれからは、お陰さまで病気知らずです…!

生活習慣病と言われる、自分へのいたわりを欠いたことが原因で起こる病気は、注意を促すサインだと思いますし、ストレス社会が生み出した、捌け口を失った表現エネルギーの蓄積が、身体のバランスを崩すことにつながっていることも、あると思います。身体は究極の自然体だからです。
自分の身体としっかりと対話し、心と身体の良き関係を構築していくこと…本当の意味での健康の定義とは、こういうことを言うのではないか?って思うんですね。

私達の表面意識では認識できない所で、神秘の世界は活力に満ちたエネルギーを放ち、生き生きと存在しています。
病気をネガティブに受け取らずに、身体を通しての深遠なメッセージと真摯に受け止められれば、人生の旅はより深みを増し、有意義なものになっていくのではないでしょうか…?
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# by uriguri-s | 2006-09-24 00:06 | 心の健康

許すというパワー

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自分の心が、痛くて苦しくて仕方ない時ってどういう時でしょう?
人生劇場…色んなシチュエーションを学ぶこととなりますが、大半の心の苦痛は、『許す』という心の作用を発動させることによって、殆どのケースが解決、解放への道に向かうのではないか?と感じるのです。

心の中に許せない感情が生じると、意識は常にそこに集中するようになります。
許せないという感情=エゴが満たされない状態。
つまり、その対象が人であっても、環境であっても、それ以外のことであっても、自分のエゴがその虚栄心や自尊心を満たせない状態、その不満の種となるものが、すなわち『許せない感情』なんですね。

人生を歩む上で、感情を持つ私達が一番苦労するのは、このネガティブな感情のコントロールだと感じるのです。実に大きな課題だと思います。
神様、どうせ感情をお与えになるのなら、ポジティブな感情だけでよかったのに…と心底思いますが、『いえいえ、それではこの三次元世界に生まれて来る意味がありません…』という答えが、即返って来るようですね。
私達はこの世界で、心のネガティブダイエットをするために出てきたようなものですから、果敢にそれに挑戦することが求められているのだと思うのです。

しかし実際、ピュアな心は知っています。そんな堅苦しくて重いもの、手放したほうが楽になるということを… しかし、顕在意識のエゴはなかなかそれを認めようとしません。プライドが邪魔するからです。
元来、真実の自己が持ち合わせるプライドというものは、自分が創造主の一部であるという誇りが生む、自身に対する畏敬の念という崇高なる思いだと思います。
しかしエゴから来るプライドは、他者との比較から生まれる優越感という、表面的な自己満足でしかありません。しかし私達はこの三次元界で、常にこの表面意識に翻弄され続けることになるのです。

ネガティブな波動はマイナスエネルギーを引きつけ、それをエサとする輩たちに、好環境を提供することとなります。波長同調の法則です。この循環の輪の中にいることに疑問を持たない限り、この輪の中から脱出する機会を得ることはできません。
疑問を持つことによって、変化を求める感情が芽生え、それが悪循環の輪から脱出したいという意図を生み出します。ポジティブなエネルギーがパワーを発揮できるようになれば、環境は驚くほど好転します。

つまり、『許せない感情』を手放す… 『許す』という行為がキーポイントです。
エゴを満足させる次元から、神性を持ち合わせる、本当の自分が満足する次元へ。
許すということは、過ぎてしまった過去のわだかまりを、今に、そして未来に、持ち運ばないということであり、自分に降りかかった体験の責任を他者に負わせない…ということでもあると思います。
例えばこの世的に見て、『理不尽』だと思われるような内容であったとしても、それは学びや気づきにつながる、『試練』と姿を変えた自分と他者の学習テーマが、複雑に絡み合っているということなんですね。その事象から、自分は一体何を学び取るのか?ということを、問われているのだと思うのです。
どんな内容であれ、自分が体験したことによって生まれた結果は、自分の責任であり、その結果の責任を他者に転嫁しないということ…ですね。

そして何より大切なのは、自分も裁かない…ということです。
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# by uriguri-s | 2006-09-23 00:09 | 意識進化の旅

101日目…新たなスタート

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今日の記事で、私がブログを書き始めて101件目の記事となります。
6/13にブログを立ち上げ、今日9/21、無事に101日目を迎えることがことができました。
読んでくれる皆様がいてくださったから、書き続けることができました。本当に感謝しています。ありがとうございます!

毎日夜10時にP.Cの前に座り、写真選びから始まり、心の声を文章として組み立てていくのですが、今、続けてみてしみじみ感じることがあります。何かを積み上げる…という行為は、その先に、夢や希望があるからこそできることなんだなぁ…と。
何を形にするかは分からずとも、自分の中で常に変化を望む声が聞こえ、ただそれに素直に突き進んでいく… やがて一つのサイクルが廻ってきた時に、その一部が形になって鮮やかに姿を見せてくれる…そういうものなんじゃないかなぁ…って。

昔、漫才師の西川きよしさんが、参議院選に出馬される時の演説でよく仰っていた、『小さな事からコツコツと…!』という言葉がとても好きでした。本当にそうだなぁ~と思いました…
時に私達は、結果を急いで見たがります。しかし、すぐに形として見られる結果の中身って…どうでしょう?  すぐに形となって見られない結果であるからこそ、それを成し得るためのプロセスに、その時間の重みに大いなる意味があり、魂の財産として大きな価値を生むものになるのではないでしょうか?

本当に好きなことをしていたとしても、挫折を味わうこともありますし、放り出したくなるときもあると思います。でも、自分が意図を持って、夢を持って、興味を覚えることや、好きだと思えることに、ただ素直に熱中し実践するという行為に偽りはなく、そうして人は夢を抱き続け、最終的に一つの形として、創造という結果を生み出すことができるんですね。

今日から、また新たなサイクルが始まります。
活字という媒体を通して、多くの皆さんと心対心の交流ができるこの時間は、私にとってとても貴重な時間であり、まだ見ぬ創造という結果までの、大切なプロセスでもあるのです。


夢を抱きしめ、笑顔抱きしめ、頑張りましょう!
皆さんの夢、応援しています!
『帰らざる日のために』 (音いらない方、ボリューム"0"にしてから開いてくださいね)
 
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# by uriguri-s | 2006-09-21 00:05 | 夢と創造

音の神秘

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私達現代人は、喧騒の中で生きていると云っても決して過言ではありません。
街を歩けば、一方的に耳に入ってくる騒がしい雑音。あらゆる所から耳に入る、機械的で無機質なデジタル音。家庭に戻れば、家族が見るテレビから流れる雑音の応酬…などなど。
しかし、音にも、『真』と『雑』があるんですね。

活気に満ちた賑やかさと、ただ騒がしいだけの喧騒とは、大きな違いがひとつあります。それは焦点の定まったパワーが、あるか、ないか…だと感じるのです・
例えば、一見騒々しく見える音楽コンサートや、神社の祭り( 岸和田のだんじり祭りなどスゴイですね )などの、音の波動が伝えるパワーは、観ている聴衆の心と共鳴し、ある一種独特のエネルギー場を生み出します。意図を持たない雑音では、決して生み出せないパワーです。そしてパワーのある音は、心の活力につながる強力な強壮剤ともなり得るんですね。その証拠に、パワーのある音を聴き続けていると、心は果てしなく高揚していきます。

自分が求めている音楽を聴く時、それは自分の心が求めている波動が、その音の中に、コードのように秘められているからなのだと思うのです。音というのは、私達の心を癒す強力なヒーリング作用があるんですね。ミュージックセラピーという分野が、専門分野としてきちんと確立されているところからも、その確かさがうかがえます。

その時の心の状態によって、聴きたい音楽は変わってきます。
もちろん、静かな環境音楽を聴きたいと思う時もあるでしょうし、心に活力を生む、アップテンポの曲を聴きたくなる時もあります。
パズルのピースがカチッとはまった時のように、心が望む音に触れた時、心は十分な満足感を得ることができるのです。賑やかな楽曲を聴いていても、心はリラックスしているんですね。ピュアなハートが喜ぶ音楽というのは、それだけ心を十分に癒せる、レベルの高いパワーのある音ということになります。そのような音楽を選んで聴くということは、心の健康にとってもとても大切なことだと思うんですね。
又、旋律に乗って響く歌詞という言葉には、言霊(ことだま)が宿り、その歌詞の内容が、聴く者の心の芯に響くこととなるのです。

私が、今、よく聴きたくなる楽曲があります。
この歌を、私は、見えない次元の仲間からの応援歌だと思っています。
角松敏生さんの『月のように星のように』という歌です。歌詞そのものは、著作権の関係で表記することができませんが、歌の内容は、《月のように星のように、暗い道を照らしてゆける、そんな風に歩める人になって…》というものです。

私達は、喧騒の中で生きています。
一日のうち僅かでもいいので、一人で孤独になる時間を作り、大好きな音楽に浸ってみる… こうして心と対話する機会を持つということは、とても有意義なことだと思うんですね。
孤独は孤立ではありません。ネクラでもありません… 孤独とは、自分の心を見つめる、自分の心を感じる、そして真の自由を満喫する、とても貴重な環境であり、心身の状態です。
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# by uriguri-s | 2006-09-20 00:08 | 音の神秘

私の中にいる私

スピリチュアル・メッセージ

Mちゃん…
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たまらなく 孤立感を感じる時
どうしようもなく 自分を許せない時
思い出してください 私の存在を
いつでも あなたの中にいて
胸の奥深くで 
あなたを 支え続けている私のことを

それは 涸れることのない泉のように
引いては返す 波のように
あなたの 中心からほとばしる
あなたを愛する 真実の自己

遠い過去から 今 そして未来を見通す目を持つ
最も信頼できるスーパーガイド 最強の案内人
私の名は ハイアーセルフ

いつも 私を感じてください
私に 思いを馳せてくれたならば
いつでも 私はそこにいます
そう…
あなたと私は いつもつながっているのです

あなたを 愛して
心から 愛して
自分を 責めることは
自虐的に 自分の心を痛めることは
あなたは 本当は望んではいないはず

痛めることで 逃げることを正当化しないで…
痛めることは 傷しか生まない
心の傷は
あなたが 自分を許し
愛することで 癒すことができるのです

幼き命が 今にも消えそうになり
それを つなぎとめることもできず
あなたは ただ泣くことしかできない
しかし流した涙は 決して無駄になりはしない
その涙は珠玉の宝 
幼な子の命の中心に
必ず 愛と癒しの波を送ってる…

悲しまないで 愛しい人よ
私は あなたのハイアーセルフ
いつでも あなたの心の中に私はいます
あなたと共に 幼い命を見守っています

あなたは 一人じゃない
ぽっかり空いた 心の穴の中に私はいます
どうか 私を感じてください…


ウリグリース
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# by uriguri-s | 2006-09-19 00:02 | 言霊(ことだま)