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絶望という壁…新たなる創造の扉が開く時

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それぞれの人生を歩む上で、人は必ず何度か絶望という壁にぶつかることになります。思考が停滞し、感情は混乱、意欲は廃頽(はいたい)し、すべてが停止状態に陥ります。時には生きる希望さえなくなり、自ら命を絶つ人さえ現れるのです。しかし、この絶望という状況は、自らが自らを試している、試練の時と捉えることもできます。
私の場合、人生の早い段階でこの試練に出会うことになりました。過去記事で何度か触れていますが、15歳の時に相次いで両親を亡くしました。子供にとって、いきなり親の庇護が無くなる不安と恐怖感は相当なものです。幼き心では支えきれず、未熟な精神は、現実からの逃避という誘惑に勝てなくなりました。16歳の時、本当に死のうと思いました。親に会えない寂しさ、将来の夢の断念、新たな将来像を模索する不安、親の庇護のない恐怖、襲い来る虚無感… 耐える自信がありませんでした。耐えてみたいとも思いませんでした。当時の同級生たちは、私のこの時の心の葛藤劇をよく知っています。しかしこうして今があるのは、大勢の方々の暖かい励ましがあったからです。
それから後にも、数度、絶望の壁にぶつかることとなりましたが、今思い返せば、絶望という窮地に陥らなければ、本当の意味での、新たなる創造の扉を開くことは出来なかったのではないか?と思うんですね。よく、最大のピンチは、最大のチャンスだ!と言います。まさしくこのことだと感じるのです。
だから、今辛い立場で頑張っている方たちにエールを送りたいのです。絶望の真っ只中は、同時に、新たな創造の扉の前に立っている…ということでもあるのです。
それぞれの人生ですから、最終的にはみんな自分で選択、決定していくものなのだと思いますが、リアルなこの世界で実践として身につけたことは、豊かな経験として、心の堆肥となり糧となっていくものだと思います。そしてそれは、魂の成長の旅に、大いなる福音をもたらすことになると私は信じています。
by uriguri-s | 2006-08-16 00:01 | 感情と感性
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